おもしろ雑学
ベンガル原産国はアメリカで、野性のベンガルヤマネコと家猫から生まれた品種。1970年代、カリフォルニア大学でネコ白血病の研究の為にイエネコとベンガルヤマネコの交配が実験的に行われた。 この時に生まれた猫が後のベンガルの基礎になったといわれている。山猫から引き継いだワイルドな斑点模様、筋肉質で強靭な肉体が特徴。ワイルドな外見とは違い、穏和で人懐っこく愛情深い性格をしている。猫としては珍しく水遊びが好きなのも特徴。短毛種で頭は比較的小さく、丸みのあるくさび型をしている。毛色は大きく分けて、ブラウン、スノー、シルバーの3種類がある。血筋はもともと野性的なため、運動量は比較的多い。
ウイスキー蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し、これを発酵させ蒸留したもの。最初に蒸留アルコールが製造されたのは8世紀から9世紀頃といわれており、キリスト教の修道士らによってアイルランドとイギリスにもたらされた。材料による分類は、大麦麦芽(モルト)のみを原料とするモルト・ウイスキー、トウモロコシ、ライ麦、小麦などを主原料にするグレーン・ウイスキー、その二つをミックスしたモルト・グレーン・ウイスキー、ライ麦を主原料とするライ・ウイスキーなどがある。世界の五大ウイスキーといわれているのは、アイリッシュ、スコッチ、バーボン、カナディアン、サントリー。また、ジャック・ダニエルがバーボンの代名詞として勘違いされているが実際はバーボンではなくテネシー・ウイスキーである。
イタリア名称はイタリア共和国。ヨーロッパ南部の国。イタリア半島および地中海に浮かぶ2つの大きな島(サルデーニャ島、シチリア島)からなる。イタリア半島は地図で見ると長靴のような形をしている。首都はローマ。通貨はユーロ。スポーツはサッカーやバレーボールが盛んで、いずれも世界大会やワールドカップでは優勝候補国の強豪として知られている。世界有数の観光大国であり、世界遺産も多く、世界中の観光客を呼び寄せている。ローマ以外にナポリやミラノ、フィレンツェなどの都市も有名である。
ホワイトハウスアメリカ合衆国の大統領府で、首都ワシントンD.C.の中心部にある。本棟にあたるレジデンス、ウエストウイング、イーストウイング、サウスローン、アイゼンハワー行政府ビルで構成されている。1792年10月に着工、1800年11月に完成。レジデンスは大統領とその家族が暮らす公邸であるほか、要人との会談や重要な記者会見、その他の公的な行事が行われる場所でもある。ウエストウイングには大統領執務室をはじめ、閣議室、国家安全保障会議室などが入っており、アメリカ政府の中枢といわれている。
シンデレラむかしむかし、とても美しく、やさしい娘がいました。しかしお母さんが亡くなってしまい、お父さんが二度目の結婚をしたので継母と義姉たちと暮らしていました。継母とふたりの義姉たちはとても意地悪で、家の嫌な仕事は全部娘に押し付け、寝床や衣服も粗末な物をあたえ、おふろに入ることも許しませんでした。そして継母たちは娘のことを『シンデレラ』(灰かぶり娘)と呼びました。ある日お城の王子さまがお嫁さん選びの舞踏会をひらくため国中に招待状がおくられました。ふたりの義姉も招待され出かけましたが、シンデレラはひとり家でさみしく留守番していました。それを見かねた妖精がシンデレラの前に現れ、ドレスやガラスの靴、そして馬車まで与えました。しかし妖精は言いました。「わたしの魔法は12時までしかききません。かならずそれまでには戻ってくるように」と。シンデレラがお城につくと、その美しさに王子様はすぐに気が付き、他の誰にも目もくれず、シンデレラと踊りつづけました。楽しい時間は、あっというまに過ぎて、気づくと時間は12時前でした。シンデレラはていねいにおじぎをすると、急いで出ていきました。するとあわてた拍子に階段にひっかけてガラスの靴がぬげてしまいました。しかし取りに戻る時間もなく、シンデレラは待っていた馬車で急いで家に帰りました。シンデレラを忘れられない王子さまは忘れていったガラスの靴を手に「このガラスのクツの持ち主と結婚する」と国中を探しました。使いは、シンデレラの家にもやってきて、義姉たちがガラスの靴を無理やり履こうとしましたが、どうしても入りません。「わたしもはいてみて、いいでしょうか?」とシンデレラが靴を履いてみるとピッタリ。それからシンデレラは王子と結婚して、いつまでもしあわせに暮らしました。
野球のルール二つのチームが対戦する球技。双方が交互に攻撃と守備を行い、攻撃中に得た得点の合計が多い方が勝者となる。攻撃と守備の一巡をイニングといい、1ゲームは9イニングからなる。後攻のチームの点数がすでにリードしている場合は9イニング目の後攻チームの攻撃はせずに試合終了となる。投手がマウンドから投げたボールを打者はバットを使って打ち、ヒットになった場合は走者として塁にでる。一塁、二塁、三塁、本塁とがあり、ランナーが本塁までたどり着いて1点が得点される。打球がバウンドせずに既定のライン(フェンスなど)を越えた場合は本塁打となり、打者は4つ(本塁まで)進塁することができる。アウトが3つで攻守が交替される。同じ打席でストライクが3回に達すると1アウトとなり、ボールが4回に達すると四球(フォアボール)になり、打者はそのまま1塁に進塁できる。
日本のサッカー(Jリーグ)1993年5月15日、ヴェルディ川崎×横浜マリノス戦の開幕戦で華々しく開幕したJリーグは、当時のメジャーなプロスポーツと言えばプロ野球やプロゴルフ、大相撲くらいしか存在しなかった日本に大きな衝撃を与えた。発足当時は10チームだったが2008年にはJ1.18チーム、J2.12チームになる。J1の試合方式は18チームによる2回総当たり戦(ホーム&アウェイ)で順位を決定し、17,18位のチームが自動的に降格し、翌年はJ2となる。16位チームはJ2の3位チームと入れ替え戦を実施する。(2008年データ)
ビートルズイギリス・リヴァプール出身のロックバンド。【メンバー】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。1962年レコードデビューし1970年解散。世界中で最も広く知られ、最も成功したロックバンドであり、現代のポピュラー音楽の流れを変えた。本国イギリスにおいては、外貨獲得に大きく貢献したことから、1965年にエリザベス2世からMBE勲章が授与された。1960年代以降のロック・ポップスシーンに与えた影響も含め、また後期になって行くほど世界屈指のアーティストとして、その楽曲の普遍性、革新性も高く評価されており、現代音楽の金字塔として揺ぎない地位を保っている。
名作映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』1984年製作のアメリカ合衆国・イタリア合作のギャング映画。禁酒法が施行されていた1930年代のニューヨークにあるユダヤ人ゲットーで育った二人のギャングの生涯を描いた、セルジオ・レオーネ監督の代表作。ギャング映画の中でも高い評価を得ている作品である。ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ、ジョー・ペシなどの演技派俳優の名演も見もの。構想14年。制作費4000万ドルという史上最大のスケールで、巨匠レオーネが作り上げた映像叙事詩です。
ポメラニアン祖先は北方スピッツ系のサモエドで、牛や羊の番犬、作業犬として飼われていた犬だといわれている。もともとは大型犬だったがドイツのポメラニア地方で改良され小型化した。日本でもその小型さと可愛さから、家庭犬、愛玩犬として多くの人々に飼われている。飼育は被毛が細くてやわらかく絡まりやすいので、毎日欠かさずにブラッシングする。また夏の時期は、顔や尾の毛を残してカットする場合もある。性格は陽気で遊び好き。表情も豊かで飼い主たちに対するサービス精神も旺盛である。
東京都都道府県の一つであり、日本の首都。神奈川県、山梨県、埼玉県、千葉県と隣接する。1943年7月1日に東京府と東京市を統合した形で、東京都が設置された。1999年に石原慎太郎が都知事に就任してから、品川、丸の内、汐留及び臨海副都心などの再開発が目覚ましい。【東京都が策定した副都心】新宿副都心、上野・浅草副都心、大崎・品川副都心、池袋副都心、錦糸町・亀戸副都心、東京臨海副都心、渋谷副都心。戦後は首都たる東京の復興を最優先したが、東京オリンピックによって戦後復興は終結し、東京は高度経済成長の中で新しい日本の政治・経済の中心として大発展を遂げる。
タンパク質人間の体の全ての細胞の基礎物質。体の構成成分として、絶対必要な栄養素である。たんぱく質は、20種類のアミノ酸によって構成されていて、豆、魚、肉類などに多く含まれている。体重の約1/5をしめ、血液や筋肉などの体をつくる主要な成分であるとともに、酵素などの生命の維持に欠かせない多くの成分になる。また、エネルギー源としても使われることもある。たんぱく質を多く含む食品の代表は、卵、牛乳、肉、魚、大豆製品だが、小麦粉、米などにも比較的多くのたんぱく質が含まれている。
異邦人アルジェリアに暮らす、主人公ムルソーのもとに、彼の母の死を知らせる電報が養老院から届く。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」。母の葬式に参加したムルソーは涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。彼は葬式に参加した後の休みの期間中、遊びに出かけたまたま出会った旧知の女性と情事にふけったり、普段と変わらない生活を送る。ある晩、友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになったが、裁判では人間味のかけらもない冷酷な人間であると証言される。彼の母親が死んでからの普段と変わらない行動は無関心・無感情と人々から取られたのだ。彼は裁判自体にも関心を示さず、裁判の最後で殺人の動機を問われ「太陽が眩しかったから」と答えた。判決では死刑を宣告され、ムルソーはそれすら関心を示さず、上訴もしなかったため、死刑が確定した。留置場に司祭が訪れ、ムルソーに悔い改めるように諭すが、彼は司祭を追い出す。留置場の中でムルソーは、死刑の瞬間に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。
新選組江戸時代後期の幕末期に、主に京都において、反幕府勢力弾圧・警察活動に従事した軍事組織である。局長は近藤勇、副長は土方歳三。新選組は局長を筆頭に副長が補佐し、以下に副長助勤・監察方(諜報)・勘定方(会計)などを配置した。副長助勤は組長として平隊士を統率した。各組は一番から十番あった。各組の組長として、沖田総司、永倉新八、斎藤一、藤堂平助などがいた。慶応3年11月に徳川慶喜が大政奉還を行い、旧幕府軍と共に新政府軍と戦うも敗北し、近藤勇は板橋で捕えられ処刑され、沖田総司も持病の結核により死亡した。のちに土方歳三も函館戦争において戦死した。
薩英戦争薩英戦争とは、1862年、横浜郊外の生麦村で、薩摩藩の行列を乱したとされるイギリス人4名のうち3名を薩摩藩士・奈良原喜左衛門、海江田信義らが殺傷した事件(生麦事件)が発端でおこった、イギリスと薩摩藩の間で戦われた鹿児島湾における砲撃事件である。生麦事件の翌年の1863年、薩摩藩が陸上砲台80門を用いて先制攻撃を開始。暴風雨の中、英国艦隊と薩摩の陸上砲台の間で激しい砲戦が展開されたが、イギリス艦隊は旗艦艦長・副長の戦死などの被害甚大より横浜に撤退する。その後、ジョン・ニールと薩摩藩がイギリス大使館で講和。薩英戦争の結果、薩摩藩は攘夷が実行不可能であることを理解し、イギリスは幕府支持の方針を変更して薩摩藩に接近した。
クリストファー・コロンブス大航海時代におけるイタリアのジェノヴァ出身の探検家。1492年アメリカ大陸を発見し、ヨーロッパの新大陸進出の先駆となった。アメリカ大陸の発見においては、ネイティブ・アメリカンが1万年以上前から先に居住しており、コロンブスが彼らを奴隷にしたのは承知の事実のはずで、これはヨーロッパ人による、ネイティブ・アメリカンを人と見做さず動物同様に扱った人種差別的な思想に基づくものである、という議論もある。「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」という「コロンブスの卵」の逸話は有名。
太陽銀河系の恒星の一つで、太陽系の物理的中心であり、太陽系質量の99.9%を太陽が占める。推測年齢は約46億年。太陽はほぼ完全な球体だが、地球型惑星や衛星などと異なり、はっきりした表面が存在しない。太陽は、中心核(コア)・輻射層・対流層・光球・彩層・遷移層・コロナからなる。76億年後には中心核の温度は約3億Kにまで上昇し、ヘリウムの燃焼が始まる。やがて中心核がヘリウムの燃えかすである炭素や酸素で満たされると、最終的に太陽は現在の200倍にまで巨大化し、続いて太陽は脈動変光星へと進化し、その後、太陽は白色矮星となり、何十億年にもわたってゆっくりと冷えていく。
アステカ文明14世紀から16世紀にかけての数百年間、メキシコ全土にわたって覇権を及ぼしたインディオの文明である。アステカ文明は、先に興ったオルメカ・テオティワカン・マヤ・トルテカ文明を継承し、土木・建築・製陶・工芸に優れていた。アステカの社会では人間の新鮮な心臓を神に奉げなければ太陽が消滅するという終末信仰が広く信じられていて、神殿において日常的に人身御供が行われていた。人身犠牲を基盤にしたその宗教観に、周辺諸国部族を中心として反感がおこり、アステカはしだいにかげりをみせはじめていった。
銀行の誕生銀行が誕生したのは中世末期のイギリスである。当時、主要な決済手段は金(ゴールド)だったが、商業取引が増大し、多額の金を抱える者が出てきた。多額の金を手元に抱えきれなくなった金所有者は、ロンドンで一番頑丈な金庫を持つとされた金細工商のゴールドスミスに金を預けることにした。ゴールドスミスは金を預かる際に、預り証を金所有者に渡した。しばらくし、ゴールドスミスは自分に預けられている金が常に一定量を下回らないことに気づき(支払いに用いられた金を、受け取った業者がすぐに預けに来ることが原因)、預けられた金を運用しても預金支払い不能にならないことを知り、貸し出し運用を開始した。これが銀行の起源で、このとき金を預かる際に発行された預り証が現代の紙幣の起源である。
渋谷東京の地名で渋谷駅を中心とした街。新宿、池袋と並ぶ三大副都心で東京を代表する繁華街の一つであり、西武百貨店・東急百貨店・パルコ・丸井などのデパートや専門店・飲食店などが立ち並ぶ。ファッションや文化、アートなどの発信地としての地位を確立し、若者の街として知られる。渋谷駅前には忠犬ハチ公の銅像があり、待ち合わせの目印としてよく利用される。古くは塩谷の里とよばれていたが、平安時代末期から鎌倉時代に掛けて、この付近を本拠としていた武将・渋谷氏がこの地を領地とし、これが地名の由来になったという説がある。
更新日 2009年01月08日